院長 田中次郎(たなか じろう)
- 1973年(昭和48年)
12月2日生まれ
大阪府交野市出身 - 平成19年
AMS柔道整復師養成学院 卒業
厚生労働省認可 柔道整復師 - 会社員(資格試験予備校での事務員)を経て30歳の時に整骨院業界へ
(同時にAMS柔道整復師養成学院入学)
その後、大阪府下の整骨院にて勤務・見習い修行 - 資格取得後さらに4年の修行期間ののち自らの学んだ治療方法と経験・考え方を実践するため、地元である交野市で「青葉整骨院」を開業。
- 趣味・特技:ドライブ、体を動かすこと、食べ歩き、映画鑑賞
はじめまして、青葉整骨院のホームページをご覧いただきましてありがとうございます。
私は院長の田中次郎と申します。
初めてご覧いただく方に、私の人物像と、そしてこの仕事をするに至った経緯を知って頂くために自己紹介をさせて頂ければと思います。
剣道、ラグビーなどの激しい競技に没頭してケガも多く、当時から何かと病院や整骨院のお世話になる事が日常でした。
中学時代は好きな剣道に入れ込みすぎて、腰をひどく傷めてしまいました。高校は剣道の強いところへ入ってさらにその道を、と決め込んでいたのですが、これがどうにも治らず、病院で受けた検査の結果がひどくて医師から「もうスポーツはできない」と言われてしまいました。
希望していた強豪校への進学も諦めることとなったものの、運動競技を続けることだけは諦めきれなかったので、そこからしばらくは何とかこれを治そうと鍼治療や整体、整骨院を何軒もハシゴして、時には遠くまで通って必死で取り組んだものです。
その甲斐あって良い治療ともめぐり合い、長く苦しんだ腰痛を克服、その勢いで今度は一転してラグビーに挑戦。高校ではラグビー部で思う存分に力を発揮することが出来ました。
その後もスポーツや武道を続けていく中で
何度となく「これはもうダメか」と思うほどのケガにも見舞われましたが、そう言いつつ実際に今も体を動かすことを楽しんでいます。
それらの経験から、一時的にケガや痛みに苦しむことがあっても、
「何をやっても良くならない」とか「もう出来ない」などという事はめったにあるものじゃないと考えるようになりました。
この頃の経験が今の自分の治療に対する考え方の基礎になっています。
その後、会社員をしながら自分の目指すべき職業に悩んだりした時期もありましたが、社会人としてある程度の経験を積ませて頂いたのち、やはり自分の経験と専門分野を活かして今の仕事を選ぶことになりました。
好きな職業ではあっても、資格をとったり、一人前になるための下積みもけっして楽ではありません。
しかし、満足に歩けなかった男性が施術によって元気に歩けるようになったり、70歳を超えて曲がっていた背すじがすっきりと伸びるようになった女性を目の前にして、この仕事にやり甲斐を感じています。
今の世の中では何かあればすぐに薬にたよること、痛み止めの注射や手術に頼ること、またそれしか方法はないという考え方のほうがはっきり言って主流です。
いま、体のどこかが痛くて、でも
病院に行ったけれども「骨に異常はない」といわれ・・・
「とりあえず痛み止めと湿布」を出されて・・・
「このままだと手術するしか方法はない」と言われて・・・
「歳だからしょうがない」と言われて・・・
本当にそうでしょうか…?
本来なら好きな旅行に趣味にと楽しく過ごすはずだった毎日をあきらめて、不安と一緒にすごしている人が大勢いるなら、本当は、再びまたそこから抜け出して、笑顔を取り戻し、楽しく毎日を送ることができる。
そんな方法があるのだということを多くの人に知ってもらいたい!
またそれが世間の常識になるぐらいにまで広まっていく将来を展望しています。